「DX人材の採用・育成はなぜうまくいかないのか」 日本最大級のAI開発コンペサイトSIGNATE 夏井COOと語る

デジタルテクノロジーによる業務とビジネスの大変革、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進は、全ての企業にとって避けられない喫緊の課題となっている。しかし、日本の多くの企業は、それを担うAIエンジニアやデータサイエンティストなどの人材が不足し、思うようにDXを推進できていないのが現状だ。そこで、日本最大級のAI開発コンペティションサイト『SIGNATE』を運営する株式会社SIGNATEの取締役副社長COO夏井丈俊氏をお招きし、日本企業ではDX人材の獲得がなぜうまくいかないのか、企業のDX推進の本質とは何か、その背景にあるSociety 5.0への社会の大転換などについて伺うとともに、DX人材の採用、育成の新たな視点をご紹介いただいた。

夏井 丈俊
株式会社SIGNATE 取締役副社長COO
1987年株式会社ディスコ入社。1998年に株式会社ディスコInternational(US)CEO就任、2000年から株式会社ディスコInternational(UK)CEOを兼務。2006年株式会社ディスコ常務取締役就任を経て、2010年、同社代表取締役社長に就任。2016年に退任し、2017年5月株式会社オプトワークス(現・株式会社SIGNATE)代表取締役社長就任。2018年4月より現職。

寺澤 康介
ProFuture株式会社 代表取締役
1986 年慶應義塾大学 文学部 卒業。就職情報会社役員等を経て、2007 年採用プロドットコム株式会社(2010 年にHR プロ株式会社、2015 年にProFuture 株式会社に社名変更)設立、代表取締役社長に就任。2012 年にHR 総研を設立、所長に就任。日本最大級の人事ポータルサイト「HR プロ」、人事向けフォーラム「HR サミット」、経営者向けサイト「経営プロ」、アンケートメディア「PRO-Q」などを運営。
アメリカなどでは広く利用されているAI開発コンペサイト
寺澤 日本の企業は、DX分野の取り組みが非常に遅れているということが危機感を持って語られています。DX分野に取り組む必要性を感じていても、何をやればいいのかと戸惑ったり、DX人材の採用、育成にも非常にお困りの企業がかなり多いようです。今日は、DX分野の豊富な知見をお持ちのSIGNATEの夏井さんに、いろいろ伺いたいと思いますが、まず、SIGNATEさんがどのような企業なのか、運営されているAI開発コンペとはどういうものかといったところをご紹介いただけますか。
夏井 弊社はAIの受託開発や運用も手がけていますが、2018年4月にオープンしたAI開発コンペティションサイト『SIGNATE』を運営し、この登録会員を基盤としたビジネスを展開していることが最も大きな特徴です。AI開発は、開発する際にどれくらいの精度のものをと事前にお約束することが難しく、やってみなければわからない要素が非常に多いため、開発ベンダーと発注ユーザー間のトラブルにつながりかねない面があります。そこで、発注ユーザーの課題に対して開発前にPoC(Proof of Concept)と呼ばれる実証実験を行い、これくらい精度が出るAIモデルなら実際に使えそうだと確かめるようなことが一般的に行われています。このPoCを1ベンダーに依頼するのではなく、コンペにかければ、「別のベンダーに頼んだ方がよかったか」と後悔することなく、より高精度なAIモデルを調達できるわけです。アメリカなどでは、AI開発コンペサイトは非常に広く利用されています。
寺澤 どのような流れでAI開発コンペを行っているのですか。
夏井 まずお客様の課題を我々がヒアリングし、コンペにかける設計を行った上で、コンペを開催します。お客様からは、例えば、列車の障害発生時の遅延状況をAI予測したいといった、さまざまなご相談をいただいています。すると、弊社の『SIGNATE』の登録会員は2021年5月現在4万7000名ほどですが、この方々は73%が社会人、27%が学生で、出身・在籍大学も東京大学を筆頭に約半数が修士以上という、高度なAIスキルを持つ人材です。この方々が、提供された学習用データを使ってコンペの問題に取り組み、自分で作成したAIモデルをサイトに投稿するわけです。すると、実際の正解がどうだったかがわかる評価データをお客様から事前にいただいていますので、そのAIモデルでどれくらいの精度が出るのか、システム上で瞬時に可視化してランキングを表示する仕組みです。そして、最終的にランキング上位のモデルに賞金を提供するとともに、そのコードをお客様にご納品するというプロセスです。
寺澤 一つのコンペに対し、参加者の数はどれくらいですか。
夏井 多くの場合、千人を超える参加者が取り組み、数千のAIモデルを投稿しています。
寺澤 確かに、1ベンダーに依頼するより相当高精度なモデルを調達できそうですね。
夏井 こうしたコンペにかけるということは、お客様のより良い課題解決につながると同時に、参加する人たちにAI開発についていろいろなことを学ぶ機会、実力を示す機会を提供するという意義もあります。今、日本では、高校、大学でのデータサイエンス系の授業必須化など、国を挙げてこの分野の人材育成を進めようとしていますが、こうした我々の仕組みが高く評価され、昨年、経済産業大臣賞を受賞させていただきました。
欧米に比べ、事業会社に属するIT人材が圧倒的に少ない日本
寺澤 日本の企業のDXの取り組みが海外に比べて遅れていて、DX人材の採用、育成もうまくいっていないといわれる原因は何でしょうか。夏井さんはどうお考えですか。
夏井 社内のIT人材が不足しているため、どういう人を採用すればいいか、育成すればいいかがわからない、DXに取り組むにしても、そもそもDXとは何をすればいいのかがわからないといったところが一番大きいように思います。今の日本の最大の問題は、特に事業会社における社内のIT人材不足です。「IT人材白書2017」(情報処理推進機構)によると、日本ではIT人材の72.0%がベンダー企業に、28%がユーザー企業に属しています。一方、アメリカは35%がベンダー企業、65%がユーザー企業に属しています。ドイツ、イギリス、カナダなどと比較しても、ベンダー企業の割合の方が高いのは日本だけです。これが海外との決定的な違いです。
どういうことかというと、これまで日本ではIT企業の多くを受託開発の企業が占めており、事業会社はIT開発をベンダーに依存してきました。事業会社のIT部門が担うのは社内のセキュリティやベンダーへの発注などが中心で、自分たちで開発ができる人材は少なかったのです。欧米企業のソフトウェア開発は内製が多いといわれますが、そこが大きく違っていたという経緯があります。
寺澤 ベンダー依存の体質を変える必要があるわけですね。根底にそういう大きな問題がある中、今はDXをうまく推進できている企業と、そうでない企業があるという状況です。そこはどうご覧になっていますか。
夏井 「IT人材白書2020」(IPA社会基盤センター)によると、DXに取り組んでいる企業は、DXに取り組んでいない企業に比べて、「企画・設計など上流の内製化」を進めている割合が高くなっています。上流のIT業務を内製化していることが、DX推進で成功している企業の共通点です。また、DXに取り組んでいる企業にIT人材の獲得・確保状況を尋ねたところ、DXに取り組んでいない企業に比べて、新卒採用、中途採用、他部門からの異動などを行っている割合が高くなっています。
寺澤 傾向として、DXをうまく推進できている企業はベンダーに依存せず、DXにどのように取り組むかという企画・設計を自社で行っているし、そのためにIT人材を社内に確保することに力を注いでいるということですね。
夏井 さらに、DXの取り組みで成果を上げていて、かつ、ビジネスモデル変革に取り組んでいる企業は、リスクを取ってチャレンジする、多様な価値観を受容する、意思決定のスピードが速いといった企業文化・風土を持つ傾向があるという調査結果も出ています。つまり、DXを推進するとは、単にIT化、デジタル化すればいいという表層的なことではなく、意思決定の仕方や組織づくり、文化といったものまでDX推進にふさわしい形にアップデートし、企業そのものをつくり変えることが本質であって、その部分のイノベーションが必要な時代になっているのではないかと思います。
Society 5.0に対応し、勝ち残っていく企業に変革できるか
寺澤 DXの本質は、企業そのものをトランスフォーメションすることだと。ただ、非常に大きな変革ですから、理由や目的が明確でなければ難しいと思います。企業がDXを推進する必要性をどう捉えればよいでしょうか。
夏井 今、Society 5.0へ社会が大転換しようとしている中で、企業はDXを推進して大きく変わっていかないと、生き残り、成長していくことが難しいという認識が必要です。Society 5.0とは、日本が目指す未来の社会の姿として国が掲げているもので、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)であるとされています。狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続くもので、AI、IoT、ロボット、ビッグデータといった革新的なテクノロジーを全ての産業や社会に取り入れることで、この新しい社会が実現すると考えられています。
Society 5.0とは、内閣府の説明によれば、例えば、IoTで全ての人とモノがつながり、さまざまな知識や情報が共有され、新たな価値が生まれる社会です。また、これまでは情報社会といっても、情報があふれ、必要な情報を見つけて分析する作業は簡単ではなかったのですが、Society 5.0は、AIによって、人がこの面倒な作業から解放される社会です。さらに、Society 5.0は、少子高齢化、地方の過疎化などの課題をイノベーションによって克服する社会であり、ロボットや自動運転車などの支援によって、人の可能性が広がる社会だということです。
こういう社会を誰がつくるのかというと、企業がつくるわけです。全ての人とモノがIoTでつながって、センサー情報が蓄積され、AIがビッグデータを解析して人に提案をしたり、ロボットが工場で自動的に生産を行ったりするような社会が、夢物語ではなく、現実に訪れようとしています。ですから、そういう社会に適した形でサービスを提供していくために、社内のDXを進めていく。働き方も含めて、そういう社会で勝ち残っていけるような企業体をつくっていくということが、DXを推進する一番の目的になってくると思います。
寺澤 そのためには、自社がSociety 5.0に対応したビジネスをどのように展開していくのか、実際の開発業務は外に出すにせよ、企画・設計についてはベンダーに依存せず、自ら行うことが必要でしょう。やはり、IT人材を社内にいかに確保し、育成していくのかという戦略が重要になりそうです。
夏井 どういうサービスをつくっていくと最も競争力が高いのか、肝心要の部分は、自社の事業ドメインについてよくわかっている社内の人材が考えるべきでしょう。ただ、IT人材の確保を考えるとき、将来、日本のIT人材不足が深刻化するという大きな問題があります。国もIT材の育成に力を注いではいますが、経済産業省では、2030年にIT人材の需要と供給のギャップは45万人、同じくAI人材は12万4000人と予想しています。IT人材とAI人材、合わせて57万人が不足しそうだということです。今後、IT人材の獲得競争はさらに激化すると考えられます。
AI開発コンペに参加し、実力が可視化された人材をスカウト
寺澤 そういう状況の中で、企業はDX人材の採用、育成をどのように進めていけばよいでしょうか。この部分で、御社は企業に対してどのような支援をされていますか。
夏井 弊社では、『SIGNATE』の社会人会員が登録している転職スカウトサイト『SIGNATE Delta』を運営しています。職歴などに加えて、これまでのAI開発コンペでの成績によって、どれくらい実力がある人材なのかが可視化されていることが特徴です。キャリア採用に関しては、そういう方々にスカウトしていただけます。また、学生会員が登録している『SIGNATE Campus』は、これはと思った学生に対して企業が新卒採用やインターンシップ参加のオファーを出すことができる仕組みです。登録者数が一番多いのは東京大学の学生ですから、そういった優秀な学生も採用していただくことが可能です。
寺澤 企業がAI人材を採用するといっても、その人が本当に優れているかどうかが面接してもなかなかわからないという悩みをよく聞きます。コンペでの成績は、DX人材としての評価の尺度になり得ますね。
夏井 社会人でも学生でも、高いスキルを持っていて、コンペの成績でもそれが証明されているものの、職務経歴だけがないという人が大勢います。そういう人であれば、今、多くの案件を手がけて活躍している人に比べて、リーズナブルな報酬で採用できるメリットもあるわけです。獲得競争の厳しさは、第一線の人材になるほど増していきますから、むしろ、そういう人材を積極的に採用のターゲットにされると、成果につながると思います。
寺澤 育成についてはいかがですか。
夏井 弊社ではAIやデータサイエンスを学べるオンライン講座プログラム『SIGNATE Quest』を会員に提供していますが、大学などからこれを授業で使いたいという引き合いを多くいただき、すでに導入している学校もあります。企業でも、社内でのDX人材育成にご利用いただいています。
寺澤 AI開発コンペサイトに登録しているような高いITスキルを持つ社会人、学生に直接アプローチできることは、企業にとってメリットが大きいと感じます。
夏井 会員数は2021年5月現在4万7000名ほどですが、この先端IT人材のプールを活用して、企業が個人の才能にアクセスできる、より充実したプラットフォームを構築していきたいと考えています。先ほどお話ししたように、今後、慢性的なIT人材不足の状況が続くと見込まれますが、実は、これまでいなかったプレイヤーが登場してきています。それは個人です。オープンで柔軟な雇用制度の中、副業を含め、ビジネスにおいて個がさまざまに活躍していくという個の台頭シナリオは、Society 5.0の大きなテーマの一つでもあります。副業での業務委託雇用などにつなげていただけるような新たなサービスを、秋に向けてローンチしていく予定です。
寺澤 DXの本質から、DX推進の具体的な手法のヒントまで、大変興味深いお話を伺いました。本日はありがとうございました。