第1回:ピープルアナリティクスの日本国内の活用状況とその効果

北崎 茂

PwCコンサルティング合同会社 パートナー

慶應義塾大学理工学部卒業。外資系IT会社を経て現職。人事コンサルティング領域に関して約20年の経験を持つ。 M&A、組織設計、中期人事戦略策定、人事制度設計から人事システム構築まで、組織/人事領域に関して広範なプロジェクト経験を有する。ピープルアナリティクスの領域においては、国内の第一人者として日系から外資系にいたるまで様々なプロジェクト導入・セミナー講演・寄稿を含め、国内でも有数の実績を誇る。現在は、人事部門構造改革(HR Transformation)、人事情報分析サービス(People Analytics)におけるPwCアジア地域の日本責任者に従事している。一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 理事。

ピープルアナリティクスの日本国内の活用状況とその効果

近年、人事の領域において、データを活用した意思決定や効率化を図っていく動きが加速してきている。データの活用という点においては、これまでマーケティング、研究開発など事業を取り巻く様々な領域で進められてきていたが、この動きは人事においても例外でなくなってきている。

人事におけるデータ分析といえは、これまでも人件費や要員の分析などを含め、様々な定量分析が行われてきているが、先駆的に人事のデータ活用・分析に取り組む企業のあいだでは、こうした分析のみならず、採用時の内定者や辞退者の予測、配置適性の予測、退職者の予測、現場部門における生産性分析など、人事における様々な領域においてデータ分析を行うことが一つのトレンドとなっており「ピープルアナリティクス」と呼ばれている。

では、このピープルアナリティクスとはどのようなものなのであろうか。ピープルアナリティクスとは単純に言えば、「人材マネジメントにまつわる様々なデータを活用して、人材マネジメントの意思決定の精度向上や業務の効率化、従業員への提供価値向上を実現する手法」である。その中でも特に良く活用されるのが、「過去データをベースにして将来を予測する」というモデルである。一つ例をあげるならば、過去に退職した人材の評価の傾向や上司の傾向、エンゲージメントの傾向などをモデル化することにより、「辞めやすい人の予測」を行うというようなものがある。もちろん、過去のデータだけでなく、ベンチマークデータを活用して、自社にデータが存在しない状況を予測するなどのモデルも存在する。

 

VUCAの時代とも称されるように、環境変化が激しく予測不能な事象が多く存在する現在の環境下において、こうしたデータを用いて、様々な状況を予測し、より適切な意思決定をしていくことは企業の人材マネジメントの競争源泉になるとも考えられており、デジタル時代における新たな人事の中枢的な機能として近年注目を集めるようになっているのである。

 

欧米ではピープルアナリティクスの専門組織の設置が進む

「ピープルアナリティクス」は欧米の企業では既に2010年以降から急速に普及しはじめ、主要な企業のほとんどで導入されている。その代表格とも言えるのはグーグルやマイクロソフトなどのテクノロジー先進企業であろう。

グーグルでは、評価や採用などに関する様々な人事オペレーションに統計的な解析手法を持ち込むべく、人事部門の約3分の1に組織心理学や物理学などの分析的な分野で修士以上の学位があるスペシャリストを配置するなど、人事のデータ活用に対する動きは他社と一線を画すものがある(*1)。また、マイクロソフトでは、匿名化した従業員のカレンダーと電子メールのメタデータをエンゲージメントデータと掛け合わせて分析することで、新入社員が入社後に経験する出来事と従業員のエンゲージメントの相関を可視化し、独自のオンボーディング施策実施に役立てている。(*2)

こうした企業では、採用などの領域のみならず、人材マネジメント全体でのデータ活用を積極的に推進しており、近年では、ピープルアナリティクスに関する専門組織を設置する企業も増えてきている。

日本企業でも大企業を中心にピープルアナリティクスが浸透し始めている

一方で日本企業においても、2016年以降から、人事におけるデータ活用は徐々に進みつつあり、先進的な企業では実践的な導入例も現れてきている。2019年に日本国内の236社に実施した調査によれば、調査対象企業の過半数に至る50%の企業が「人事におけるデータ活用」に強い関心を示している。さらには、従業員数5000名以上の企業に限定すれば、85%の企業が、「何らかの取り組みを既に行っている」、もしくは「予定している」と回答しており、人材データを種類・量、双方の観点から豊富に抱える大企業を中心として、大きな流れが生み出されつつある。

 

ピープルアナリティクスが人事にもたらす価値とは?

では、このピープルアナリティクスを活用することにより、企業の人事はいったいどのような恩恵を受けることができるようになるのであろうか。大きく分けるとその価値は、「意思決定精度の向上」、「業務の効率化」、「従業員への価値提供の向上」の3つに大別される。具体的な手法や事例などについては、次回以降で触れていきたいと思うが、まずはそれぞれの要素の基本的な考え方について触れていきたい。

 

効果① 意思決定の精度向上

まず、「意思決定の精度向上」であるが、これはピープルアナリティクスにおける最大の効果とも言える。データを使って意思決定の精度を上げていくという考え方は、事業環境や労働環境がほとんど変化しない状況であれば、逆に蓄積された人間の勘と経験のほうが有効な場合もある。しかしながら昨今では、グローバル化やデジタル化など、かつてとは違ったタイプの環境変化が現れ、従来の環境下で培ってきた「勘と経験」だけでは誤った判断をしてしまう可能性が出てきている。例えば企業の採用活動で、これまでとは全く異なるような、自社には存在しない新たなテクノロジースキルを保有する人材タイプを採るとしよう。この場合、自社にはこうした新たな人材の見極めを行うノウハウが存在せず、前述のような「勘と経験」は作用しづらくなる。また面接官が複数にわたるような場合には、それぞれの面接官が異なった視点で判断をするような課題も生まれてくる。ここでピープルアナリティクスの考え方が役に立ってくる。データ分析により、各面接官に対して候補者の「パフォーマンス」や「定着度」の可能性という観点に関する予測や、それに影響を与えている「性格特性」「経験」「能力」といった情報が定量的に提示されていれば、それに基づいて一定の観点で各面接官が面接を行うことができるのである。これはいうなれば、面接官の中での判断基準に定量的な新たな判断基準を組み入れ、意思決定の精度を向上させるための共通軸を提供するということになるのである。

こうした分析は、採用のみならず、配置時のマッチング精度、育成効果の測定、メンタルなどのモチベーション変化に対する予測分析など、人材マネジメント上の様々な領域での効果が期待される。それぞれのデータ分析を活用することにより、意思決定の精度向上を行い、人材マネジメントの全体的な質の向上が可能になるのである。

 

効果② 業務の効率化

次に「業務の効率化」という観点であるが、これは特に新卒採用や定期異動などの多くの人材を一度にマネジメントしなければならない状況で効果を発揮しやすい。例えば新卒採用の場合、採用担当者は自社に来る多数のエントリーシートに対して一つひとつ目を通すことになるが、これをテキストマイニング等の手法を用いて分析すれば、予め優先度の高い人材とそうでない人材を統計的な手法を使用して予測することができるようになる。そうすれば、重点的に確認すべき人材やそうでない人材との峻別を行うことができ、効率的なスクリーニング作業を行うことが可能になる。

また定期異動などにおいても同様のことが言える。定期異動に関しては、その配置により「事業への貢献見込み」、「従業員のキャリア形成」、「モチベーション維持」などの観点で議論がなされるが、ここには異動決定者の様々な推測が飛ぶ形になる。ここにデータ分析に基づく視点、具体的には候補者の異動後のパフォーマンス予測や、モチベーションの変化予測などを入れることにより、妥当性を持って合理的に議論を進めることが可能になり、結果として業務の効率化を実現することになるのである。

 

効果③ 従業員への価値提供の向上

そして、ピープルアナリティクスの効果として、近年最も注目を集めているのが「従業員への価値提供の向上」であり、エンプロイーエクスペリエンス(Employee Experience)と呼ばれる領域である。

エンプロイーエクスペリエンスは、多様化する従業員のタイプに合わせて、モチベーションや生産性の向上を実現するために、彼ら彼女らに対してより職場環境内で良質な経験をさせるという考え方である。これは、企業が従業員のそれぞれのバックグランドや志向性に「より目を向けた」形で、企業が提供するある種のサービスの在り方を変えていくという考え方になり、「オーダーメイド化」された人材マネジメントを実現していくという方向を指し示している。これにピープルアナリティクスの考えを活用するとどのようなことができるのであろうか。一つの例としては、多くの企業で採用され始めている「キャリアレコメンド」がある。キャリアレコメンドは、過去の異動実績とその後のパフォーマンスやエンゲージメントの変化などのデータをもとにして、従業員の能力や志向性に適したポジションを推奨する(可視化する)手法である。このように、ピープルアナリティクスの考えを活用して、これまで手探りで自身のキャリアを考えていた従業員に対し、「キャリアの透明性」という新たな価値を提供することが可能になるのである。

このエンプロイーエクスペリエンスとピープルアナリティクスの関係は非常に広範にわたるため、詳細はまた別の場で解説をしたいと思うが、欧米を中心として人事におけるキートピックとして近年注目を集めているテーマでもあり、今後、日本国内にもその考え方は急速に浸透していくと考えられている。

広がりを続けるピープルアナリティクスのデータ

ここまで、ピープルアナリティクスの日本国内での浸透状況や、その効果について触れてきたが、実際に取り組む企業が最も頭を悩ませる部分は、どのようなデータを使えばいいかという点である。近年、ピープルアナリティクスに活用されるデータは、人事システムに格納されているような異動歴や評価歴といったようなデータのみならず、エンゲージメント情報や、性格特性情報、さらにはメールやスケジュールデータといった、その従業員の働き方を指し示すようなワークスタイルデータにまで、多岐に渡っている。次回は、企業で実際にどのようなデータが分析に使用されているかについて解説をしていきたい。

 

(出所)
1.東洋経済新報社 Work Rules! (2015年)
2.Harvard Business Review – To Retain New Hires, Make Sure You Meet with Them in
Their First Week (2018年)[Online] https://store.hbr.org/product/to-retain-new-hires-make-sure-you-meet-with-them-in-their-first-week/H04DZ4

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