第38回:人事制度の「メタボリック症候群」と「夏バテ」にご用心

人事のレガシー38「人事制度は世の中の要請と経営や現場の声を反映して充実させる」

レガシーを破る視点「将来動向を洞察し、人事制度や打ち手の『達成基準』とあわせ『廃止基準』を設定する」

松本 利明

HRストラテジー 代表

外資系大手コンサルティング会社であるPwC、マーサー、アクセンチュアなどのプリンシパル(部長級)を経て現職。国内外の大企業から中堅企業まで600社以上の働き方と人事の改革に従事。5万人以上のリストラと6500人を超える次世代リーダーの選抜や育成を行った「人の目利き」。人の持ち味に沿った採用・配置を行うことで人材の育成のスピードと確度を2倍以上にするタレント・マネジメントのノウハウが定評。最近は企業向けのコンサルティングに加え、「誰もが、自分らしく、活躍できる世の中」に近づけるため、自分の持ち味を活かしたキャリアの組み立て方を学生、ワーママ、若手からベテランのビジネスパーソンに教え、個別のアドバイスを5000名以上、ライフワークとして提供し、好評を得ている。HR総研 客員研究員。

人事制度は経営や現場の声を聞くだけでは機能しない

人事制度を改定するのに、経営や現場の声を聞くことに異論をはさむ人はいないでしょう。しかし、それは半分正解で半分間違いです。子供がアイスクリームを食べたいと言いうので、言われるままにアイスクリームを与え続けたらどうなるでしょう。糖質過多で肥満になったり、虫歯が増えたり、必要な我慢ができずワガママが加速するなど、健康を害したり、人格形成に悪い影響を与えてしまいます。親であれば子供のために、アイスクリームをあげる頻度、量、タイミングを調整するでしょう。人事制度もこれと同じです。経営や現場の声を聞くことは重要ですが、全てを鵜呑みにして「おっしゃる通りに人事制度を作り込みました!」とやると、まさに、「子供に言われるまま、アイスクリームをあげる」状態になり、どんどん人事制度が追加され、複雑怪奇になっていきます。

その上、エンゲージメント、リスキリング、心理的安全性、人的資本経営など、人事面に関するテーマや対応事項が増えていることもあり、人事は真面目に対応策を考えれば考えるほど、人事制度が膨らみ、「人事制度のメタボ化」に拍車がかかるのです。

ダイエットであれば、運動することで痩せたり、筋肉がついてくることでしょう。しかし人事制度の場合は、次から次へと課題に対する制度が追加されていくと、運用負荷が増していくばかりになるのです。効果や結果が見えてくることもなく、結果、「夏バテ」状態になってしまいます。

人事は制度を正しく判断する根拠を持っていない

人事制度がどんどん膨らむ理由は、「各制度がどんな目的を達成したら廃止するか」という廃止基準がないことに尽きます。法律面の変更に伴う人事労務や年金退職金などの追加修正には対応せざるを得ないでしょう。それに加えて、ビジネス環境の変化に伴い、経営者、部門長、現場から、人事制度に関する不満の声が大きくなってくると、その声に対処するため、パッチワークのように継ぎ足ししていくから太ってしまうのです。

受け身のスタンスが、人事制度のメタボ化を招きます。

人事はビジョンや方針だけでなく「達成基準」と「廃止基準」を設ける

人はすぐには育ちませんし、意識も変わりません。10年先を想定し、今から想定される変化や現在起きている課題を踏まえ、各制度の目的とゴールを整理しておくといいでしょう。ゴールを達成したら、その制度は「廃止」すればいいのです。こうすれば、制度の効果測定もやりやすくなり、ムダに制度を太らせることもなくなります。

未来へ向けてどんなステップでやり方を変えていけばいいか、一本の筋道が通るようになります。要は、「2週間は食事とウォーキング中心に体脂肪を落とし、運動習慣をつけ、足腰の負荷を減らす」、「次に体脂肪が落ちて足腰の負荷が減ったので筋トレとランニングを始める」といったダイエットと同様に、最終ゴールに向けて期間やステップを決めることで、達成感を得ながら、着実に前に進み、ステップに応じて「やる事/やめる事」をハッキリさせていくのです。こうすることで、力の入れ所と抜き所、着手することと止めることがハッキリするので、正しくメリハリが効くようになります。結果、人事制度運用の「夏バテ」が解消し、スッキリボディに切り変わるのです。

【ポイント・進め方】

1)現状からの積み上げではなく、ビジネスの要請から課題を設定する

人事制度は、今起きている課題を潰し、それが解決したらそのときに起きた課題を潰していくというようにボトムアップで打ち手を考えがちです。例えば、「我が社もグローバル展開を強化する」という課題があったとします。

社員の英語力が低いので、まずTOEICのスコアを平均600点以上目指して受講させる

3年経ったが、TOEICの平均値が期待ほど上がらない

TOEICのスコアが上がらないのは我が社だけでなく、他社も同じと分かり、安心する

社長から海外要員が育っていないと怒られる

社員の英語力レベルを見る限り、海外展開は時期尚早と考える

というように、現在の課題を潰しながら進めようとすると、ほぼ間違いなく同じ課題を将来に先送りするだけになってしまいます。従って、課題設定の順序を逆にして、会社の未来の姿をもとに、そこにたどり着くようなシナリオを考え、シナリオの壁となる課題を洗い出し、打ち手を考えるように、未来につながる形で課題と打ち手を考えることが要諦です。

未来の姿は中期経営計画や事業計画を用いれば、何年後にどんなビジネスをどう展開していて、そのときにどんな人材(質)がどれだけ(量)が必要になるのかが分かるので、その人材の供給を考えていくと、未来につながるシナリオと課題が見えてきます。

上記の例であれば、「TOEIC600点以上の人材」という課題設定ではなく、「既存のコア技術を海外で伝え、生産を軌道に乗せる人材が3年後までにざっくり20名必要」というゴールを押さえれば、「海外で必要なコア技術は何か?」「それを伝えられる人材がどれだけいるか?」「そのスペックは?」「候補者はどの程度いて、育てて間に合うのか。他社から採用しなくてはいけないか?」など、人的課題と打ち手が導かれることになります。

2)ビジネスの要請と現存社員の年齢分布より課題を整理

10年先の我が社を想定する際、人事面でも予測できる未来があります。それは、社員は毎年1つずつ歳を取ることです。社員の平均年齢や分布の推移を、全社、部門、職種などのシミュレーションを踏まえ、将来のビジネスからの人的面への要請で考えると、より本質的な課題が見えてきます。

「あと5年でIT部門の幹部が全員定年退職する」といった場合、年齢構成しか見ていないと、「若い人を入れて人件費も下げ、組織を活性化させよう」と考えるでしょう。しかし、ビジネスの要請からもう一歩踏み込むと、「システムの全体設計の経験があるのはあの層しかいないので、5年以内にノウハウを部門内に伝承させるにはどうするか?」という課題が出てきます。どちらが本質的な人的課題かは一目瞭然です。ビジネスの要請と社員の年齢分布の両面から課題を捉えることが必要です。

3)打ち手より先に成果(どんな状態になっているか)を定義する

「課長のマネジメント力が弱いから、マネジメント研修を実施しよう」というように、人事の施策は、ついつい「課題の次に手段を」と考えてしまいがちです。課題の裏返しの手段の場合、実施した結果の効果測定がしにくくなります。マネジメント力が弱いので研修した結果、どれだけマネジメント力が上がったのかを把握するには、多面フィードバックを導入するなど、至難の業です。次の打ち手の確度を挙げることも困難でしょう。

「マネジメント力を上げる」ではなく、あるべき成果から発想するとどうでしょう。仮に課長が「自分のノウハウを部下に伝える」ことを成果の1つとすれば、

自分のノウハウを棚卸する

部下のノウハウの達成度を評価する

部下全員に足りないところは研修を、個別に足りないところは個別育成プランを考える

など、成果を達成するための手段が順序よくあらわになります。進捗状況も分かるし、停滞している問題個所も分かるので、人事のサポートもやりやすくなります。

4)成果は数年単位、ステップで考える

初年度に大量に人事施策が書いてあり、それがそのまま10年後につながるように書いてあるケースがありますが、これでは各施策の効果測定ができず、人事制度のメタボ化につながります。人事制度の成果は数年単位で設定し、10年先へのステップになるように設定したほうが良いでしょう。

その数年間で、想定した成果を出すように人事の施策を考え、年度の計画に落としておくと、各制度の賞味期限が明確になります。賞味期限が明確になることで、逆にはっきりした人事施策を打つことも可能になります。

「課長が部下を育てないこと」が積年の課題であった部品メーカーが、3年限定で部下育成・成長度の評価項目のウエイトを70%まで上げたことがあります。課長自らプレイングマネジャーとして成果を出さなくてはいけない状況でしたが、部下の目標達成や育成も課長が支援せざるを得なくなったのです。その結果、課長は部下を育てたほうが最終的に課の目標を達成しやすいことが分かり、課全体の仕事の効率も上がり、課の雰囲気もよくなることが分かりました。3年後に評価ウエイトを元に戻しても、課長はプレイングマネジャーに戻ることなく、マネジメントを通して目標達成と部下育成を行うようになりました。この部品メーカーはマネジメントが定着したので、次の段階の課題である海外事業部へのノウハウ展開や、国内における次世代リーダーの選抜、新規事業の立ち上げに着手できるようになりました。3年間OJT強化の方針を出したり、研修をやったりしただけでは、このようには進まなかったでしょう。

成果を数年単位で明確にすると、「期限付きなら」と思い切った打ち手が可能になります。賞味期限が切れた打ち手は、廃止や変更をすることで、人事制度の肥満化も防げるようになるのでお勧めします。

関連キーワード

[レガシーの壁を超える人事の取り組み]のバックナンバー

関連する記事一覧

メディア掲載実績

共同調査 受付中。お気軽にご相談ください。

共同調査の詳細はこちら 共同調査のお問合わせ その他のお問合わせ