第48回:健康経営のセオリーをぶっ壊す②-ワークライフバランスを整えられるようたくさん制度を整備する-

人事のレガシー48「ワークライフバランスを整えられるようたくさん制度を整備する」

レガシーを破る視点「従業員の心理状況を踏まえ、打ち手に心をついていかせる」

松本 利明

HRストラテジー 代表

外資系大手コンサルティング会社であるPwC、マーサー、アクセンチュアなどのプリンシパル(部長級)を経て現職。国内外の大企業から中堅企業まで600社以上の働き方と人事の改革に従事。5万人以上のリストラと6500人を超える次世代リーダーの選抜や育成を行った「人の目利き」。人の持ち味に沿った採用・配置を行うことで人材の育成のスピードと確度を2倍以上にするタレント・マネジメントのノウハウが定評。最近は企業向けのコンサルティングに加え、「誰もが、自分らしく、活躍できる世の中」に近づけるため、自分の持ち味を活かしたキャリアの組み立て方を学生、ワーママ、若手からベテランのビジネスパーソンに教え、個別のアドバイスを5000名以上、ライフワークとして提供し、好評を得ている。HR総研 客員研究員。

働き方やキャリアの選択肢を用意しても活用されない

健康経営を目指すにあたり、ただ単に、社員の身体的な健康やメンタル面をケアするだけでは何も解決しません。なぜなら、健康経営のそもそもの目的は、「生産性高く、かつ、活力がある健全な組織にすること」であり、「社員が変な不安やストレスを抱えず、身体的にもメンタル的にも問題なく活き活きと活躍できるようにすること」は、それをクリアするための一つの条件でしかないからです。言わば、ブラック企業化して社員を限界までこき使うより、ホワイト企業化した方がいろんな意味でいいことだらけであることが世に広まったからです。

普及した背景の一つは、ブラック状態では、「世の中」「お客様」「働き手」から選ばれない時代になったからです。インターネットが深く浸透した影響も大きいでしょう。昔なら隠し通せたことも、今ではインターネットで晒されてしまいます。社外から様々な情報がインターネットを通じて入るので、「うちの会社がおかしい!」と社員が気づいてしまう。また、二人に一人が転職する時代なので、会社の内情がインターネットの中を動き回り、都合が悪いことを完全に隠し通すことができなくなりました。

二つ目は、ポジティブな理由です。ホワイトな状態は、企業業績向上にも直結することが明らかになってきたからです。

考えてみれば分かりますが、「激しい残業が続く」「人間関係も疑心暗鬼で不信感に満ち溢れている」「キャリアに不安があり、会社に自分の未来を預ける信頼が置けない」などのブラックな状況では、ポテンシャルを発揮し、チームワークで高い生産性を上げることは難しいものです。ホワイトな状態なら、その真逆になります。会社や仲間に信頼感があり、恐怖政治からは決して生まれない心の余裕があるため、新しいチャレンジや創意工夫が生まれ、チームワークが健全に機能し、結果、会社の業績も上がることでしょう。

こうした会社の実態がインターネットなどでどんどん広まるため、ホワイト企業は評判も良く、お客様や働き手からも選ばれる好循環が生まれ、その成果が誰の目にも明らかになります。

こうして、健康管理は「自己責任」から「組織も個人もいい状態になるよう、会社が積極的に乗り出すもの」に変化してきたのですが、ここに罠があります。「ワークライフバランスが取れ、健康健全な状態になれるよう、働き方もキャリアも選べるような制度をつくる」「産休育休、有給はもちろん、ライフイベントに応じてきちんと休める制度をつくる」というように、会社はいい意味で、きちんと制度化することを優先しがちです。たしかに制度がないと、休んで良い等の申請や判断がやりにくいことは事実ですが、制度をたくさん作れば作るほど、逆に社員の心は離れていくのです。

必要以上に制度を加える事は、「余計な事」か「会社のアリバイ」としかみなされない

理由は3つあります。

一つは、手厚い保護があればあるほど、人は受け身になり、自ら選び、活用しにくい心理が働くからです。ランチのお勧めが100食あったら選べなくなる人が続出することと一緒です。人は選択肢が多いと選びにくくなる心理が働きます。

二つ目は、制度を活用した「前例」の印象が良くないと、制度自体が使われなくなる、ということです。実際に制度を活用し、仕事もプライベートも充実している人が何人もいれば、「自分も」と手を挙げる人が出てきますが、誰もその制度を活用した人がいないと、手を挙げにくくなるでしょう。あるいは、制度を活用した結果、周囲のメンバーの仕事が増えたり、ポジティブな認知がない人達ばかりが活用している、となると、制度自体の印象も悪くなり、活用すること自体がタブー視され、制度が利用されなくなることも実は多いのです。

三つ目は、そもそも今の仕事が忙し過ぎて、健康経営に向けた制度を活用する物理的余裕も精神的余裕もないため、活用されないケースです。「制度を活用した結果、業績・成果が下がりました」となるのでは、本末転倒です。ですから、「制度を活用して休んでください」と言うことは、忙しい現場のメンバーにとっては、「休んでください。でも、業績・成果はもっと上げてね」と言われているのと同意にしか聞こえません。そのため、せっかくの愛ある取り組みが、「世間の要請に合わせたアリバイ工作」程度にしか響かないので、スルーされるのです。

生産性向上と健康経営を両立するには「順番」が要諦

では、どうすれば良いのでしょう。

健康経営を実現するには、「従業員の心理状況」にあわせて、生産性を上げる施策(「業績・成果をあげる」「効率化する」施策)を行うことが要諦ですが、正論やあるべき論と思われないよう、今回は「週休3日制度を導入しつつ、業績をV字回復させた鶴巻温泉『元湯 陣屋』」の事例を参考に解説していきます。
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先に、業績・成果に結びつくことを考える~鶴巻温泉『元湯 陣屋』の事例①

元湯陣屋は、100年続く老舗高級温泉旅館でしたが、先代の父が亡くなったタイミングで急遽息子夫婦が引きつぐことに。その実態は、年々赤字が続き借金が10億円あり、倒産寸前でした。ホテルチェーンが買収に名をあげてくれましたが、提示額がたったの1万円。「なら、自分達で再生しよう」と立ち上がり、改革がスタートしたとのことです。

行なったことを思いっきりまとめますと、

1)大正/昭和時代の「分業制」の働き方から、「出迎えてから客室まで案内する」などの顧客満足の視点と、手が空いている時は他の仕事を手伝えるように、「マルチタスク化」する視点から効率化した結果、客室20室に対し120名以上だった従業員を、20名までに削減。
2)IT化を促進し、顧客情報を手書きの台帳からデーターベース化。予約情報に加え、アレルギーやリクエスト等の個別ニーズの共有や進捗状況を大型モニター、タブレット、音声入力、社内SNS等で全社員が瞬時に共有できるようにした結果、少人数でも複数の業務をこなしつつ、きめ細やかなサービスの提供を実現。

というように、業績・成果と効率化が一気に行えるようにビジネスプロセスを見直し、それを現場の頑張りに頼るのではなく、IT化で効率的に行えるようにしたそうです。

従業員からは、「プライドを持って今までのやり方で旅館を守ってきた。そこまで業績が悪いとは思わなかったが、自分達の責任ではない。ただ、どうしよう」という心理的抵抗がありました。しかし、後を継いだ息子夫婦が経営状況をオープンに伝えた上で、「どんな働き方をすれば業績・成果向上と効率化が行えるか」をIT化も含めて説明し、IT初心者でもすぐ使えるように工夫した結果、「デジタルを受け入れ、経営改革についていこう」という心理になった人が残り、活躍してくれたそうです。

業績・成果を落とさず、ワークライフバランスを組めるようにする~鶴巻温泉『元湯 陣屋』の事例②

少人数で効率的な組織運営が出来ても、年中無休となると疲弊してくるものです。

そこで、次に行った改革は、温泉旅館が年中無休の営業が一般的ですが、営業が込み合う曜日をさけて、「火曜・水曜・木曜の完全週休3日制にしたこと」です。

陣屋のお客様は観光よりも、何もせずにゆったりと寛ぎたいという滞在志向の方が多く、客層もビジネスパーソンの方が中心なので、宿泊客のチェックインは顕著に土曜に集中。もともと平日の売上は少なく、営業すると経費もかかることから「平日休館」に踏み切りやすかったとのことです。

この変更にあわせて

・週休3日に伴い、1日8時間×5日勤務を10時間×4日勤務の「変形労働制」に移行。

・休日は、「副業」も認める。(副業は業務委託で受け、確定申告するように指導)

なども実行した結果、女将は子育てに割ける時間が増え、ワークライフバランスが充実したということでした。

従業員の心理状況も大きく変わり、毎日早く帰るよりも週末に集中して働き、まとまった休みが取れるほうがありがたい、という声が大半で、従業員それぞれが、自分らしくワークライフバランスを取れる物理的な余裕と心理的な余裕が生まれたそうです。

休みも3日となると、視野が拡がり、疲れをとった上で、さらに+αで人生を充実させる「戦略的な休日活用」に繋がったそうです。

今までは飛び石の休暇となることが多かったのですが、連休が取れて翌日も休み、という安心感から、「国内旅行やテーマパークで思いっきり遊ぶ」「話題のホテルやレストランに行き、客の立場でサービスを享受する経験をして本業に活かす」「2日は休み、1日は仕事に役立つ事を学びに行く」「舞台やライブハウスの道具づくり等、好きなジャンルで副業する」など、従業員それぞれが自分らしく、ワークライフバランスを取れるようになったとのこと。

ここで忘れていけないのは、打ち手の順番と従業員の心理状況です。

①この方法なら、やれそうだ

②できた、安心した

③効率的なだけだと疲れてきた

④週休3日で人生が充実で健康健全な組織になった

打ち手と合わせて、この①~④の従業員の心理状況の変化や流れをおさえたからこそ、改革と成果が噛み合ったと考えられます。

多くの場合、

・仕事は今のままで:効果が出る方法がないと、現場は根性論で頑張るだけ

・生産性が上がったら、もっと頑張れ:頑張りは長くは続かず、組織崩壊

・仕事が今のままで、休日等を増やせ:業績・成果が落ちるので休めない

というように、従業員の心理状況と打ち手の順番が噛み合わず、おかしくなってしまうでしょう。

まとめ

大事なことは理屈ではなく、打ち手に従業員の心がついてくるかどうかです。

それは、アプローチの順番がキーになります。

1)業績・成果を効率的に上げることを最初に行い、

2)休んでも業績・成果が落ちない確証がでた段階で、

3)制度を充実させる

という順番を守ることで、人事の愛が噛み合わず、不時着することをなくしていきましょう。

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